大阪地方裁判所 昭和22年(ワ)882号 判決
原告 坂下コイシ
被告 坂下スヱコ 外一名
一、主 文
原告と被告坂下スエコとの間において、別紙<省略>第一目録記載の家屋および別紙第二目録記載の物件が原告の所有であることを確認する。
被告坂下スヱコは原告に対し右家屋を明渡すべし。
被告坂下スヱコは原告に対し別紙第三目録記載の物件中「一一、絹綿五貫」「一三、白キヤラコ生地一二〇ヤール」を除くその他の物件を引渡すべし。もしこれを引渡すことができないときは、同目録記載の價格に相当する金員を支拂うべし。
被告坂下スヱコは原告に対し金六千円を支拂うべし。
原告の被告坂下スヱコに対するその他の請求および被告坂下一男に対する請求は、これを棄却する。
訴訟費用中原告と被告坂下スヱコとの間に生じたものは全部同被告の負担とし、原告と被告坂下一男との間に生じたものは全部原告の負担とする。
この判決は、第二項家屋明渡の部分につき金三十万円、第三項物件引渡および金員支拂の部分につき金六千円、第四項金員支拂の部分につき金二千円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は「別紙第一および第二目録記載の物件が原告の所有なることを確認する。被告等は原告に対し別紙第一目録記載の家屋を明渡し、かつ、別紙第三および第四目録記載の物件を引渡すべし。被告等は右第三および第四目録記載の物件を引渡すことができないときは右目録中價格欄に記載の金員を支拂うべし。訴訟費用は被告等の連帶負担とする。」との判決、および物件引渡および明渡ならびに金員支拂の部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因としてつぎの通り述べた。
「原告は昭和十年頃から大阪市南区九郎右衞門町で「よし君」の屋号で、料理屋を営んでいたが、昭和二十年三月空襲でその建物を燒失したので、終戰後旅館営業を思い立ち、昭和二十一年四月建築業者の訴外尾上末吉に別紙第二目録記載の建具類を含めて同第一目録記載の家屋の建築を代金十八万円の定めで請負わせ、昭和二十二年二月その建築が小部分をのこし一應完成したので、契約後五万円を増額した請負代金二十三万円を訴外尾上末吉に支拂つて右物件の引渡を受け、その所有権を取得した。
ところが原告の妹である被告坂下スヱコは、かねてから原告の右旅館営業を手傳うことになつていたが、右建築が一應完成するや原告および被告スヱコの甥にあたる被告坂下一男とともに、早く旅館を開業せねばならぬと称して、原告のところから、原告がかねて右旅館営業の用にあてるため買集めておいた原告所有の別紙第三目録記載の什器用度品類を右新築家屋に運びこんだ後、原告を排除して二人で勝手に同家屋に居住して「花菱」の屋号で旅館を開業し、右家屋の建築許可が便宜被告スヱコ名義で受けてあつたのにつけこんで、同被告名義で大阪府に建築竣工届、所轄税務署に家屋新築届を出し、さらに旅館営業の認可をも同被告名義で受けて今日にいたり右家屋および建具類を被告スヱコの所有であると称して原告をよせつけない。そしてなお、前記のように別紙第三目録記載の什器用度品類を原告のところから右新築家屋に運びこむ際、原告所有の別紙第四目録記載の衣類および時計をも一緒に運びこんだまま、被告等が不法に占有しておるものである。
そもそも原告は訴外坂下小太郎の三女であり、被告スヱコはその五女であるが実母ヨシヱが死亡して父が後妻を迎えるにいたつて原告は同被告を手許に引取り昭和十二年頃から原告の経営する前記料理店「よし君」の帳簿係を担当させ、かくて同被告は原告方の一使用人として働いていたものであるが、昭和十五年六月原告が重い進行性麻痺症にかかつて同年九月まで阪大病院に入院したので、その間原告のためにまかされて右「よし君」の経営一切を処理していたが、その頃独断でその営業を同被告名義に変更し、原告退院後もひきつずきその経営に当り、原告を静養のため別居させ営業收益から原告に生活費を仕送つていたが、その営業主はもちろん前後を通じ原告たるに変りはなく、その点被告スヱコをはじめ親類の間でも少しもまぎれのないところであつた。そして原告は右「よし君」の建物を空襲で失つた後、一時大阪市住吉新地に家を買求め、そこで「よし君」の屋号をつずけて料理屋をはじめ、家屋の所有名義は原告に、営業名義は前の「よし君」時代と同様被告スヱコ名義にして同被告にひきつずき経営をまかせていたが、轉じて旅館の経営を思いたち、原告の妹であり養子である訴外坂下雪子が借地権をもつていた本件家屋の敷地を同訴外人から轉借した上、右住吉新地の家を右雪子に賣渡してその代金十五万五千円に手持の資金を加えて本件家屋の建築資金にあて、原告および右雪子と相次いで特別の関係のあつた訴外伊東岩太郎に保証人となつて貰つて、同訴外人方出入の大工たる訴外尾上末吉に本件家屋の建築等を請負わせ、右資金によつてその代金の支拂をしたものであり、被告スヱコはその旅館営業にも「よし君」時代同様に原告の力となつてゆくことになつており、原告の右旅館経営の計画にも深く関與してはいたが、もとより同被告を主体として本件家屋の建築がなされ、また旅館経営の計画が進んだものではないし、同被告が資金を出したものでもない。被告スヱコが本件家屋の所有権を主張するのはまつたくいわれのない横領の行爲である。
そこで原告は被告等に対し、右家屋および建具類が原告の所有たることの確認を求めるとともに、その家屋の明渡と別紙第三および第四目録記載の物件の引渡を求め、かつ、右第三および第四目録記載の物件の引渡ができないときはその價格に相当するそれぞれ右各目録記載の金員の支拂を求めるため本訴におよんだものである。<立証省略>
被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁としてつぎの通り述べた。
「別紙第二目録記載の建具類を含む同第一目録記載の家屋は、被告スヱコが自らの名において、訴外尾上末吉にその建築を請負わせ、建築の許可を受け、代金二十三万円を自己の資金によつて同訴外人に支拂い、昭和二十二年三月建築未完成のまま、同訴外人から引渡を受けた後、同被告において栄工務店なる建築業者に残工事を完成させて同被告の所有としたものであつて、その後被告スヱコは自らの名義で建築竣工届や税務署に対する家屋新築届をし、旅館営業の認可をもその名義で受け、それによつて「花菱」なる屋号のもとに旅館を経営して現在にいたつているものであつて、原告が尾上末吉と右請負契約をしたものでもなく、その代金を支拂つたものでもないし、右尾上からその引渡を受けたものでもなく、從つて原告の所有であるわけがない。
そして別紙第三目録記載の什器用度品類中「一一、絹綿五貫」を被告等が占有したことはなく、「一三、白キヤラコ生地一二〇ヤール」は被告スヱコが前記旅館の客用敷布に使つているうち盗まれてしまつていまはない。その他のものを現に被告スヱコが占有していること(ただ、「九、銘仙地ふとん」「一〇、木綿地ふとん」はいずれも二枚一組のもので三枚一組ではない)は認めるが、いずれももともと同被告が自ら買求めて所有するものである。なお、右物件中「一、桐箪笥」「二、台輪火鉢」「五、置床」「八、座ぶとん」が、それぞれ原告主張の價格を有することは否認するが、被告のもともと占有しない上記「一一、絹綿」を除いた他の物件については、その價格が原告主張の通りであることは認める。
つぎに別紙第四目録記載の物件のうち、「六、黒繻子帶三本」は、もと被告スヱコが所有していたことがあつたが、昭和二十年三月の空襲ですでに燒失し、その他の物件については被告等はかつて占有したことはない。
最後に、原告との間にこの爭のおこるにいたつたいきさつはつぎの通りである。
被告スヱコと原告との身分関係は原告主張の通りであつて、大正十四年被告スヱコが十七歳の年に実母を失い、二十二歳のとき父が後妻を迎えたので、妹である訴外坂下雪子とともに、継母のもとにおくのをふびんと思つた原告の手もとにひきとられ、右雪子は原告の養子となり、被告スヱコは原告の家事の手つだいをしていた。その後当時原告が妾となつていた訴外伊東岩太郎が原告とはなれ、妹雪子がかわつてその妾となるについて、原告は右伊東と雪子との間にできた喜美子を自分の子として貰いうけ、伊東から受取つた手切金で、昭和九年頃から大阪市南区九郎右衞門町に「よし君」なる屋号で貸座敷業をはじめたので、被告スヱコは原告の片腕となつてその営業の手助けをしていたが、昭和十五年六月頃原告が重い神経衰弱症にかかつて同年九月頃まで阪大病院に入院し、退院後も静養の必要があつて右「よし君」の経営にあたることができなくなつたので、かわつて被告スヱコが原告からまかされて一手にその経営の実際にあたることになつた。そしてその頃、営業の便宜上被告スヱコは原告の養子として戸籍の届出をし営業許可名義を同被告名義にかえたが、営業の実質上の権利が原告にあつたことはいうをまたぬところであつた。
かくて、営業一切をまかされた被告スヱコはよくつとめてその責をはたし、その営業收益は挙げて或は別居静養中の原告に生活費としておくり、或は原告のため貯金をし、少しも同被告の所得としたところはなかつた。このようにして、昭和二十年三月空襲のため「よし君」の建物が燒失するにいたるまで、右の状態をつずけたのであつたが、右罹災を機会に被告スヱコは自己の將來をはかるため、同年六月頃上記「よし君」経営中から親しくなつていた訴外小林優から金十五万円の資金の融通を受け、その資金の一部金二万円で今里新地に家屋備品を買もとめたが、開業にいたらずしてふたたび空襲で燒失したので、轉じて同年九月六日前記資金のうち金七万五千円を出して住吉新地に家屋を買受け金四万五千円を投じて営業用備品をととのえ、「よし君」の屋号で料理屋をはじめることができた。ところが、被告スヱコはかねてから飛田遊廓内で営業したい希望があつたので、右住吉新地の家屋を妹の前記坂下雪子に代金十五万円で賣却したが適当な家屋を手に入れることができなかつたので、昭和二十一年三月頃計画をかえて旅館営業を思いたち、同年四月中旬前記のように大工訴外尾上末吉に本件家屋の建築を代金十八万円、工事完成期日を同年九月末日と定めて請負わせた。訴外尾上末吉は同年七月中旬工事に着手したが、その後物價騰貴を理由に再三代金の値上げを求め、同被告は右訴外人に昭和二十一年一月末までに合計金二十三万円を支拂つたが、その間資金が不足したので、昭和二十一年十月姉である訴外太田コフミから金十万円を借受けたほか、同年十二月兄である訴外坂下由造から金二万円、昭和二十二年一月父である訴外坂下小太郎から金一万五千円、同年二月頃姉である訴外坂下コウノから金一万五千円を借受けて請負代金の支拂にあてた有様であつた。しかるに前記約束の期日をすぎた昭和二十二年三月五日になつても本件家屋の内部は荒壁の程度で完成しないまま、右尾上末吉からはなおも代金値上げを求めてきたので、ついに同訴外人との請負契約を合意解除し、工事未完成のまま引渡をうけた上、栄工務店に工事を完成させた次第である。
ところが昭和二十二年一月中旬原告は被告スヱコが右旅館営業のための雇入れた女中に難くせをつけて強硬にその解雇をせまり、その干渉の理由として、この建築は被告スヱコが前記九郎右衞門町の「よし君」時代にその收益の中からためた金で建てたものだから原告の所有であるというにいたつて、それまで原告に從順にしてきた同被告もがまんがならず自己の所有権を主張して対立した結果、同月三十日父や兄姉等の立会の上で前記営業名義変更の際その便宜のためにしてあつた二人の間の養子縁組をも解消して、生活をはつきりと別々にすることに話をつけ、その日原告の承諾のもとにその現住所たる原告の宅から同被告所有の物を引取つて本件の家屋に運び入れたが、別紙第三目録記載の物件中さきに被告がその占有をみとめたものは、その際運んだものであり、そのほかにも同被告所有の衣類なども運んだわけである。
なお被告坂下一男は原告および被告スヱコの甥にあたるものであるが、被告スヱコが本件家屋で旅館開業の当初昭和二十二年四月十日頃から同年六月十五日頃まで同被告に雇われて本件家屋に住み、番頭がわりに営業の手助けをしていたにすぎず、その後は解雇されて右旅館に関係なく現在は大阪府泉北郡信太村に住んで農業のかたわら化粧品の販賣を営んでおり、本件の物件を占有してもおらず占有したこともない。
以上の通りであるから原告の本訴請求はすべて失当である。<立証省略>
三、理 由
別紙第二目録記載の建具類を備えた別紙第一目録記載の家屋を被告坂下スヱコが現に占有してこれにより「花菱」の屋号で旅館を営んでいること、右家屋(右建具類を含む、以下本件家屋と略称する)は昭和二十一年四月訴外尾上末吉が原告か被告スヱコか、いずれかの注文でその建築を代金十八万円で請負い、その後増額された代金二十三万円を受取つた上、昭和二十二年二月か三月に家屋の一部が未完成のまま注文者に引渡したものであることは、当事者間に爭がなく、本件における主要の爭点は本件家屋に関する請求部分についてこれを見る限り、果して原告が右訴外人との間の請負契約の当事者すなわち注文者であつたか、從つて同訴外人から右家屋の引渡を受けてその所有権を取得したか、の点にあるわけである。
ところで、被告スヱコが原告の妹で母の死亡後父が後妻を迎えたので姉である原告に引取られ、原告が昭和九年頃から大阪市南区九郎右衞門町において「よし君」の屋号で貸座敷業(或は料理業ともいうが、この点はいずれにしても本件に影響はない。)をはじめてからはその営業を手傳つていたところ、昭和十五年六月頃原告が進行性麻痺症(或は重い神経衰弱症ともいうがいずれにしてもこの点は本件に影響はない。)にかかつて同年九月まで阪大病院に入院したのでその間原告からまかされて原告のために右「よし君」の経営一切をつかさどるにいたり、便宜上その営業名義をも同被告名義に変更し、原告退院後も原告を静養のため別居させて昭和二十年三月の空襲で右「よし君」の建物が燒失するに至るまで、ひきつずき同被告の手でその経営を続けていたのであるが、その間は原告との間においてその営業の主体が原告で、その收益もあげて原告の所得たるべきことについては少しのまぎれもなく、別居中の原告に生活費を送るほか收益はすべて原告のため積立てていたものであつたこと、そして右「よし君」罹災後その営業を継続するため、終戰後さらに住吉新地に家を買求め、そこで「よし君」の屋号をひきついで、同被告の手で料理屋をはじめるにいたつたが、その後その家を妹の訴外坂下雪子に代金十五万円(或は金十五万五千円というが、いずれにしてもこの点も本件に影響を來さない。)で賣り、昭和二十一年四月頃旅館を営むために、訴外伊東岩太郎の斡旋により同訴外人方出入の大工たる前記訴外尾上末吉に本件家屋の建築を請負わせたものであることについてはすべて当事者間に爭がない。
そして成立に爭のない甲第五号証によれば右住吉新地の「よし君」の家屋はその所有名義が原告になつていたこと、原告本人の供述(第一回)によれば、「よし君」という屋号は原告が職業上名のつていた名前の「よし」と上記伊東岩太郎と坂下雪子との間の子で原告が育てている喜美子の「きみ」とを合せたもので、本來原告の営業を示すべき意味をもつた屋号であることを認めることができ、当事者間に爭のない右住吉新地の「よし君」の営業が被告スヱコの営業名義でなされ、経営一切も同被告がきりまわしていたことも営業の主体が原告であることについてまぎれのなかつた九郎右衞門町の「よし君」(旧「よし君」)時代と事態がかわらぬわけであるから、他に特段の事情のみとめられぬ本件では右住吉新地の「よし君」の家屋の所有権は原告にあつて、原告と同被告との間ではその営業の主体も原告であつたこと、いわば旧「よし君」時代の営業の延長であつたとみとめるほかはない。この点につき被告スヱコは旧「よし君」罹災後は自己の將來を考え、原告から独立して営業をはじめることにし、訴外小林優なる者から金十五万円の融通を受け、これを資金として、はじめ今里新地につぎに住吉新地に、いずれも自己のために家を買求めて右住吉新地の「よし君」をはじめたと主張するのであるが、本件家屋を尾上末吉から引渡を受ける頃までは同被告が旧「よし君」時代からひきつずいて原告の営業における経営担当者としての立場を継続したとみられる行動のほか別に独立して営業を開始しまたは開始しようとしているような素振りをみせた形跡をみとめる証拠はなく、また訴外小林優から金十五万円の融通を受けたという事実は、同被告はこの点に関して当初小林喬なる者からその金十五万円の融通を受けたと主張し被告スヱコ本人のみならず証人坂下小太郎(同被告の父)および証人太田コフミ(同被告の姉)もこれに符節を合した供述をしたのであつたが、その小林喬なる者が実在の人物かどうかの証拠調に入るにおよんでそれが架空の人物であることを認め、実は右小林優からその融通をうけたものであると主張を変え、これを立証するものとして乙第十四号ないし第十九号証を提出した経過に照し、同号証の記載内容は到底信をおくに足らず結局これによつては右事実を認めることができないし、ほかにこれを認めるに足る証拠はない。
そのほか同被告が旧「よし君」時代にその営業の收支一切をつかさどつてはいたが、別に同被告特有の資金というほどのものをたくわえていなかつたことは同被告の自ら認めるところである。ただそうすると、ここで右住吉新地の家を買求めた金はどこから出たかが一應疑問となり、原告本人の供述(第一回)によつてもその家は被告スヱコが物色して買入のことに当り、代金も同被告の手から賣主に支拂つており、その代金として特に原告から同被告に金銭を渡したわけではないことが認められ、結局その買入資金の出所は具体的にはつきりしないけれど、これまで明らかになつた事実から考えてその資金は原告所有の旧「よし君」時代の営業資金が被告スヱコの手もとに何等かの形で保管されていたもので、同被告がこれにより原告の代理人として右家屋を買入れたものと推認するほかなく、住吉新地の「よし君」は被告スヱコが独立して自己の営業としてはじめ、その家屋も同被告の所有であつたとする同被告の主張は眞実とみとめ難い。
そうすると証人坂下雪子の証言によれば、右住吉新地の家を買つた坂下雪子はその代金十五万円を支拂うに当つてこれを被告スヱコに渡したものであるが、それはその賣買についても、もつぱら同被告が事にあたつたためであり、雪子としては原告から買い原告に支拂つたつもりであつたことが認められ、同被告も右代金を原告のために受取つたもので、これによりその代金は原告のものとなつたと認めるのが相当である。
さて、右の金十五万円が結局本件家屋の建築資金となつて前記尾上末吉にわたつたものであることは当事者間に爭がない。前記甲第五号証を参照すると右雪子から上記代金を受取つた後尾上末吉に請負代金の支拂をするまでの間に昭和二十一年二、三月の新円切替預金封鎖の時をはさみ、その間右の資金がいかなる方法によつて誰の手で保存されたか必ずしも明らかになつていないが、その点は本件の判断に直接の重要さがない。
それでは、尾上末吉に支拂つた合計金二十三万円のうち右の金十五万円のほかの金八万円は誰から出たかの問題が本件家屋建築資金の出資関係について残ることになるが、原告本人の供述(第一回)によると、右金二十三万円のうち金二万円は原告の知らぬうちに被告スヱコが支拂つたことが認められるのであるが、証人尾上末吉の証言(第一回)によると、尾上末吉は代金中一部は被告スヱコの手から受取つたがその大部分は原告の手から受取つたものであることが認められるのであつて、特段の事情の認められない本件においては、その原告の手から支拂われた金は原告の資金からでたものであると認めるのほかないのみならず、被告スヱコの手から支拂われた部分についても、さきに住吉新地の家の買入および営業の経営について判断したところをおし進め、また住吉新地の「よし君」の家を賣つてその営業の形態を旅館にふりかえるべく本件家屋の建築にかかつたという経路を考えに入れて帰納すると、やはり一應旧「よし君」時代から住吉新地の「よし君」の経営を通じて被告スヱコの手中にあつた原告の営業資金からほとんどがまかなわれたものと推認するほかはない。この点に関し、被告スヱコは右建築資金にあてるため、訴外太田コフミ、訴外坂下由造、訴外坂下小太郎、訴外坂下コウノ等から金員を借受けたと主張するが、例えば、そのうち比較的金額のまとまつた右太田コフミからの金十万円について考えてみれば、被告スヱコ本人の供述はその通り借りたというのであるが、その貸主にあたる証人太田コフミのその点に関する証言は、同訴外人から原告に金十万円を預けてあり、それを被告スヱコに貸してやるから使つておけといつたというにとどまり、現実に金十万円の金が同人から同被告に渡されたというのではなく、それでは同被告にとつて資金の調達としては実益のともなわぬ、まのぬけた話であつて、かりにもしそうだとして、その金十万円にあたる金が現実にあつたとすれば、原告か被告スヱコの手もとにあつたわけであるから同被告としてはその金を使うのならば、原告に話せば足るし、またそれが順序でもあるわけである。だからこの点の被告スヱコ本人の供述および右証人太田コフミの証言はたやすく信用できないし、ほかに右金十万円の借入の事実を認めるに足る証拠はない。その他の訴外坂下由造、坂下小太郎、坂下コウノからの、それぞれ比較的少額の借入についてはその眞否の判断は、ここでは一應省略してつぎにうつることにする。
かくして、本件家屋建築の資金はその大部分が原告所有の資金によつてまかなわれたものと認むべきこと右の通りであり、これに成立に爭のない甲第六号証の一ないし二十一、乙第六号証の一ないし十九、証人伊東岩太郎、尾上末吉(第一、二回)坂下雪子(第一、二回)の各証言および原告本人の供述(第一、二回)を総合すれば、本件家屋の建築を尾上末吉に注文した同人との間の請負契約の当事者は明らかに原告であり、本件家屋完成の上は旧「よし君」時代と同様原告を営業主とし被告スヱコが主として経営に当つて旅館を営む予定であつたので、同被告は右建築につき巨細にわたり原告の代理人としてこれに関係したものであり、同被告が尾上末吉と交渉して昭和二十二年二、三月頃右請負契約を解除し、同被告の手に、家屋の一部未完成のまま本件家屋の引渡を受けたが、いずれもその請負契約の注文者たる原告の代理人としてなしたもので、從つて右家屋の所有権はこれによつて原告が取得したものと認めるのが最も妥当である。右建築について、その建築許可を被告スヱコの名義で受けたことは当事者間に爭がないが、証人尾上末吉(第一、二回)の証言および原告本人の供述(第一回)によりまた被告本人の供述に從つても、これは原告の了解を得た上のことであることが認められ、これまでに認定してきた原告と同被告との関係から判断すれば、このことをもつて以上の認定を左右するに足るほどの事実と考えることはできないし、ましてこの点に関し、成立に爭のない乙第二号証によつて認められる宿屋営業の許可願が昭和二十一年五月被告スヱコ名義でなされている事実は、「よし君」時代、その営業名義が被告スヱコにあつたことの継続として少しも異とするに足りない。
なお、証人尾上末吉の証言(第一回)、原告(第二回)および被告スヱコ各本人の供述を総合すれば、尾上末吉が本件家屋を引渡した当時すでに原告や被告スヱコがそこで寝泊りしていたほどで、一部分未完成ではあつたが、ほとんど完成に近く、すでに家屋として所有権の客体たるに十分であつたことが認められ、その後間もなく被告スヱコが、原告とその所有権を爭うようになつた後、同被告が原告と別個の立場で未完成の部分を仕上げたことは原告においてもあえて爭のないところであり、これに要した資金についても前記乙第六号証の一ないし十九および証人尾上末吉の証言(第二回)によつて、原告も被告スヱコも、物價の騰貴にしたがい請負代金も増額の一途にあつたので、尾上末吉から右家屋の引渡を受ける頃は資金の調達にかなり難儀をしていた事情にあつたことが認められるところから察して、その資金は同被告が調達したものであつたことが容易に判断できるところであり、同様さらにすすんで、尾上末吉に支拂つた金二十三万円の代金についても、さきに問題とした金八万円のうちには、被告スヱコが親族知人にたのんだりしてその責任で調達した分があつたと推認するのが、もつとも眞実に近いであろうとは考えられるが、しかし、右のことはこれにより、同被告が原告に対し委任なり、不当利得にもとずく金銭的請求権を取得するは別として、ただちに同被告が本件家屋ないし建具の所有権を取得する原因となるものとは考えることができない。
証人坂下小太郎、太田コフミの証言および被告スヱコ本人の供述のうち右に反する部分は信用することができない。
以上により、別紙第一目録記載の家屋および別紙第二目録記載の建具類が原告の所有であることが明らかになつた。
つぎに別紙第三目録記載の物件中「一一、絹綿五貫」を除くその他の物件は、被告スヱコが昭和二十二年二月初頃原告の宅にあつたものを本件家屋に運びこんだもので、その後「一三、白キヤラコ一二〇ヤール」は盗難によつて失つたが、その他は同被告が現に占有中であることは同被告の認めるところであり、(もつとも「九、ふとん五組」および「一〇、ふとん五組」については同被告は二枚一組のものであると主張するが、三枚一組のものであることは成立に爭のない甲第十号証(仮処分調書)によつて認めることができる)またそれらが、旅館営業のための用度品であることも当事者間に爭のないところである。被告スヱコはそれらの物件を同被告が旅館開業の準備に買入れた同被告所有のものであり、原告と手を切り独立して営業をする話がついたので、同被告の所有物として原告のところから引取つたものであると主張し、これに副う証人坂下小太郎の証言および被告スヱコ本人の供述があるが、右の物件が旅館営業のための用度品である事実を基礎とし、これまで明らかになつた本件家屋建築にいたる諸事情を考え合せ、その点に関する原告本人の供述(第一、二回)を参照すれば、右の物件はやはり、原告の営業たるべき旅館のため原告の資金によつて買入れられた原告所有の物件で、その目的たる旅館営業のため被告スヱコにより本件家屋に運び入れられたものと認めるほかなく、この点の右証人坂下小太郎の証言および被告スヱコ本人の供述は信用できないし、ほかに右の認定を動かすに足る証拠はない。
そして右目録にそれらの物件の價格として記載した原告主張の價格が、その現在の時價の範囲内であることは「一、桐箪笥」「二、台輪火鉢」「五、置床」「八、座ぶとん」については、鑑定人小喜多六三郎の鑑定の結果により明らかであり、そのほかの物件については被告スヱコの認めるところである。
ただ「一一、絹綿五貫」については、被告が原告宅から運び出して占有したということを認めるに足る証拠はないから、これについての原告の主張は認めるに由ないものとせねばならないし、また上記「一三、白キヤラコ一二〇ヤール」については被告スヱコがいまも占有しているという点の証拠はない。
別紙第四目録記載の物件については、成立に爭のない甲第十号証(仮処分調書)により「一、羽織」のうち「こまよりお召のもの」一枚、「羽二重矢絣のもの」一枚、「二、着物」のうち「小浜小模様のもの」一枚、「縮緬のもの」一枚、「三、コート二枚」および「四、絽の着物」のうち「傘模様のもの」一枚を被告スヱコが現に占有していることはみとめることができるが、その他の物件に相当するものを被告スヱコが原告のところから本件家屋に運んで占有したとか占有しているという事実は、原告本人の供述(第一、二回)だけではこれを認めるに充分でないし、その他にこれをみとめるに足る証拠はなく、右被告スヱコの占有しているとみとめられる物件についてもそれが原告の所有であるとみとめるに足る証拠はない。この点に関する原告本人の供述(第一、二回)は、これらの物がすべて前記営業と関係のないまつたく個人的な衣類身の廻り品であつて、そのうちに被告スヱコが原告方から前記第三目録記載の物件と一しよに運んだものがあるとしても、さきに明らかにした両者の関係から考えて、直ちに原告の所有と認めることも困難であり、このような個人的な衣類などを異議なく同被告に運び出させた点からいえば、むしろ同被告の所有であつたからではなかつたかと考えられないこともないわけであることを思うと、ただちにそのまま信用するわけにはいかない。
最後に被告坂下一男については、同被告が昭和二十二年四月から六月まで、本件家屋に住んで、被告スヱコの営業の手傳をしていたことは被告一男の認めるところであるが、そのほか、同被告が現に本件家屋に居住してこれを占有していること、また別紙第三および第四目録記載の物件を被告スヱコとともに占有し、または占有していたことを認めるに足る証拠はない。
そうすると、原告の本訴請求中、被告スヱコに対し、別紙第一目録記載の家屋と第二目録記載の建具類について原告がその所有権を有することの確認を求めるとともに、その家屋の明渡を求め、また別紙第三目録記載の物件中「一一、絹綿五貫」「一三、白キヤラコ生地一二〇ヤール」を除く他の物件の引渡と、その引渡ができないときそれぞれ同目録中に各物件の價格として記載する金額の支拂を求め右第三目録記載の「一三、白キヤラコ生地一二〇ヤール」の代償としてその價格に相当する金六千円の支拂を求める部分はいずれも正当として認容すべきであるが、同被告に対するその余の請求および被告坂下一男に対する請求はいずれも失当として棄却するほかはない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條第九十二條、仮執行の宣言につき同法第百九十六條を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 浜本一夫 鈴木敏夫 麻植福雄)